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「群青色の、とおり道」を観て感じたこと。

群馬県太田市合併10周年の記念事業の一環として制作された作品。監督は「半落ち」「ツレがうつになりまして」などを世に送り出している“佐々部清”氏です。

物語はミュージシャンを夢見て上京した主人公、真山佳幸(桐山蓮)が父親の真山年男(升毅)からの連絡で少しばかりの帰郷をすることから始まっていく。

お盆になると、決まって混雑した電車に揺られ、実家に帰省する方も多いのではないでしょうか。「いやぁ~、もう何年も故郷に帰ってないな・・・」なんていう人も、この映画を見て少しでも幼少期を過ごした地元の友達や家族、風景を思い出してみてください。

10年ぶりの再会をする、家族や友人に戸惑いながらも、変わらないものの温かさ、支えてくれていた人たちなどを思い出しながら、自分の辿ってきた人生を再確認していきます。現在は楽曲を作りながらプロダクションに送り続ける日々、音楽で食べていくということの難しさを痛感しながらもひたむきに夢に向かって歩んでいる最中、父親からのガンの告知を聞き、様々な思いが巡る不安定な佳幸。

父親は、家族に心配をかけたくない「優しさ」や、正直に告げることへの「不安」から、他の家族に対しては告知をしておらず、“明日から入院をする”とだけ夕飯の席で家族に告げます。

父親の年男は、自営で工場を営み続けていましたが、長男の佳幸は東京へ行ってしまったこともあり、様々な不安をひとりで抱え込んで、日々仕事に勤しんでいる最中の病気、そんな父親とのやり取りやそれぞれが抱える家族の「不安」や「悩み」を知る佳幸が、今まで見えていなかった家族のこと気付き、少しずつ自分の中にある何かが変化していく様を、どこか懐かしくもどかしい匂いを感じさせながら、誰にでもありそうな生きていく上での葛藤を描写しています。

「二度と故郷には帰らない」と、どこかで決めていた佳幸はかつての友人や地元の人々に触れながら、これまで未完成だった“あるひとつの曲”を完成させていきます。

この映画を観ている中で、私自身は群馬県太田市という土地に縁もゆかりもないけれど、それはきっと場所が大切なのではなく、それぞれの人にある“故郷”という特別な場所に感じる共通の、かけがえのない思い出が静かに重なり、家族の優しさに心揺さぶられていくのだと思います。

ジワジワとくる感情を揺さぶるシーンがいくつかありますが、それは決まって父親の年男と息子の佳幸、母親の明子(宮崎美子)と佳幸が語り合う場面でした。

それも、父親と母親という視点から物語を眺めている自分に気付き、これまでこういった映画をみると、息子側の方に感情移入というか、自分はこちら側という当たり前だと感じていた視点が、自然と両親というカテゴリーで物語を観ているということに、ハッとさせられました。

それは、誰にでもあることなのかわからないけれど、こういった何気ないタイミングで物事の見方が突如切り替わったり、音もなく移り変わっていくものなのかもしれません。

家族の大切さや命の儚さなんて、言われなくても理解しているつもりではあるけれど、実感としてリアルに感じることができるのは年齢でも性別でもなく、自分がどの立場に立って人生を観ているのか?それに尽きると感じました。

このタイミングで、私自身の視点に変化が起きたということを受け入れ、それを大切にし、家族や人生、命について再び考えてみることにしたいと思います。

「群青色の、とおり道」オフィシャルサイト

【監督】佐々部清/【劇中歌】backnumber 「電車の窓から」

Published in 日々

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