小さいころ、正確には小学生の頃は「読書が嫌いだった。」本を読むということは勉強とイコールで、何かを知りたいという欲求は思いのほか小さかったんだと思う。思い返せば図書室という空間は、ただの遊び場であって静かに本を読むところという認識さえ持ちあわせていなかったかもしれない。
大学生になり実家を出て、一人暮らしを始めた頃から本屋に行く機会が増え、なんとなく興味が惹かれる一冊を自ら買うようになった。その時、何か大きなきっかけがあったわけではなく、暇つぶしとさほど変わらない程度の興味でページを捲る時間が増えていったように思う。小説よりも自己啓発的本の方が読みやすく、自分の人生に役に立つような気がして、常に心揺さぶるような言葉を探していた。
たまに、「おすすめの本はある?」と友人に聞かれることがあったけれど、いつもその質問にうまく答えることが出来なかったのは何故だったんだろう?という謎に対してしっくりくる答えが88ページに記載されていた。『正直に語る100の講義(大和書房、森博嗣著)』
「何を読んだら良いのかと聞くような人間は、本を読むな。」本を読むことの価値の80%くらいは、どの本を手に取るか?ということにかかっていると感じている。つまり、自分が何を読みたいのか、ということに自分で答えることが、読書をする価値のほとんんどだと思うのだ。例えば、カメラを手にして「何を撮ったら良いですか?」と周囲に聞いて回る人を想像してほしい。人が指すものを写真に撮ることに、どれほどの価値があるだろう。
なるほど、人に薦められて読む本ほど、面白味がないものはない。人それぞれ感性や好みは違うもので、誰かが良いと評価する物語が、必ずしも自分も良いと思うかは別問題だ。実際のところ、人に薦められて読んだ本や観た映画で好きになったものが記憶の中でないのはmきっとそのせいなのかもしれない。
つまり、こうやって書評的な記事を書いているこの記事もアテにはならないということなのだ。まぁこれは自分に向けた読書記録だから良しとしようか。
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正直に語る100の講義
森博嗣 大和書房 2017年08月
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